紳士・婦人肌着・下着の通販サイト「MAISON XY」

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文芸とランジェリー
異世界が織りなす「本当の幸福」

作家 冲方丁 × アルバージェデザイナー 高崎聖渚
-「破蕾」出版記念 特別対談 -

『天地明察』『光圀伝』などの時代小説を世に送り出してきた作家、
冲方丁が新作『破蕾』で新たに踏み出した世界は「江戸の官能」。

本場フランスの技法で、日本美術をインスパイアしたランジェリーデザインを生み出す
アルバージェデザイナー、高崎聖渚。

異なる世界で異なる価値を生み出してきた2人の根底に流れる、まごうことなき共通の価値観。
前例のないプロジェクトを通して分かち合った「女性観」「性」「官能」について、制作秘話にも触れながら、余すこと無く語り合った。

Profile

冲方丁

Tow Ubukata

1977年、岐阜県各務原市生まれ。1996年、早稲田大学在学中に『黒い季節』で角川スニーカー大賞金賞を受賞し小説家デビュー。早稲田大学第一文学部中退。日本SF作家クラブ会員。『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞、『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞、舟橋聖一文学賞、北東文芸賞を受賞し、第143回直木賞にノミネートされた。『光圀伝』で第3回山田風太郎賞受賞。

高崎聖渚

Seina Takasaki

1989年、横浜市生まれ。高校卒業後、東京のデザイン専門学校に入学。2年間の勉強期間を経て渡仏、パリにてランジェリー学科を卒業。
その後、「日本の女性にもっとランジェリーを楽しんでほしい」という気持ちから、2013年に帰国。ランジェリーブランド「N.SENS」の新進気鋭デザイナーとして1stコレクションを発表。のち2015年9月に株式会社XY設立。代表取締役兼アルバージェランジェリーデザイナーとして2016年9月1stコレクションを発表。「VOGUE」「ELLE」「an・an」など雑誌多数掲載。全国百貨店での催事や百貨店PBのデザインにも携わる。

今の女性にどこか似ている江戸時代の「欲求不満」

冲方:文芸誌の世界って、売れることもあって年に1度や2度は「官能小説」を手がけるんです。これまでも幾度か話をもらいましたが、僕はずっとパスしてきました。何を書いていいのか、よく分からなくて。

でも、高崎さんと何か一緒にやろうという話になったとき、手がけている下着に込めた想いを聞いて、イメージがついたんです。これなら物語になるぞと。

高崎:私、そのとき何を言いました(笑)?

冲方:日本の女性の自己表現の下手さについての話かな。日本の女性は、自分を表現しようとするとき、どうしても「隠す」ほうに力を入れてしまう、と。隠すから余計に目立ち、それがコンプレックスになってという悪循環が起きている。それを解放したいと熱く語っていました。

男ってどちらかというと鎧(よろ)う方にいってしまうんですよね。どうしても、腕時計や車、スーツ、ネクタイのように人目につくところで自分を上げようとしてしまう。それを肌に身につける下着に着目して解放しようとする発想そのものが僕にとっては盲点でした。

高崎:もともとこの会社を興す前、ブランドの企画に関わったメンバーには「日本の女性はセックスアピールが下手」という共通認識がありました。下着であれば、身につけることで気持ちが上がったり、行動が変わったりするのではという想いからスタートしているんです。そのお話をしたとき、確かに冲方先生に「それってすごく興味深い」とおっしゃっていただきましたね。

冲方:「肌に身につける」という距離感が非常に新鮮でしたね。日本の江戸時代を調べると、男性も人目につかない「ふんどし」をおしゃれにするということをしていたみたいですね。

高崎:それは私がヨーロッパで下着のデザインを学んでいるときにも感じたことがあります。下着を作るプロセスが、男性のテーラーメードのジャケットを作るプロセスにすごく似ていたんですよね。生地の質感は分かる人にしか分からない。ボタンホールを手作業で開けるか、そうでないかも分かる人にしか分からない。それでも、見えないところで相当な手間をかけているんです。ヨーロッパの下着はすごく男性的なプロセスを踏んだ上で出来上がっていました。

でも、ここでいうところの男性的なプロセスっていうのは江戸時代の男性なんです。武家の人は身につけていい着物の色が決まっていて、だからこそ、見えないところに自分の個性を発揮して、内側の生地を上等にしたり派手にしたりしていたという話を10代のころに書物で読んだことがあったんです。そういう感覚で私も下着を楽しんでいた部分がありました。

冲方:隠し秘めているところですよね。自己充足的というか。そもそも、江戸時代は身分制度が発達したこと、戦争が無くなったことなどが相まって、みんな欲求不満なんです。だから、文化が内へ内へと発展していった。そこが、もしかしたら今の女性に似ているのかもしれません。

高崎:確かにそうかも。日本の女性が本当の意味で社会に進出するようになって、まだ日が浅いと思うんです。例えば、世間では「草食系男子」や「肉食系女子」といった言葉が出てきたりしています。私は今、28歳ですけど、ちょうど成人していく過程で、中身だけが男になっている女性を数多く見たんです。

語弊があるかもしれませんが、「おっさん入っている」女性です。私が20歳のころのパワフルな女性は、中におっさんが入っていた。それ自体が良い、悪いではありません。ただ、私はそうはなりたくないと思ったんです。

冲方:男性社会に適応するっていう時代がありましたよね。

高崎:そうです。男性社会に適応しようとする女性がすごく多くなりました。ちょうど30歳手前ぐらいの私ぐらいの女性たちって、どちらかというと「それってどうなの?」と思っている世代なんです。

そういう意味だと、いま、ちょうど過渡期にいるのかもしれません。例えば、「イクメン」という言葉が生まれて、母親も父親も平等に子育てに参加する動きが広がっています。「男だから」「女だから」ではない部分が、社会的に見え隠れしている時期を過ごしている気がするんです。

こうした中で、私たちはどのようなものを作るべきだろう、どのようなアプローチができるだろうと常にアンテナを張っておく必要があります。こうした中で、冲方先生、つまり男性が書いた官能小説に、私たち女性が作った下着がタイアップさせていただく話があったので、すごくタイムリーで面白いなと素直に思いました。『破蕾』をご購入いただいた方に抽選で私たちの下着をプレゼントすることになりました。おそらく、こうした取り組みは業界でも初めてではないでしょうか。

社会から遠ざかり、自分に立ち返る、それが官能

冲方:僕にとって、官能小説で筆を執るのは初めてです。今までも何を書いていいのかわからなかったということと、世の中に既に山ほど作品があるので、「いまさら僕が書かなくてもいいだろう」っていう気持ちが強かったんですね。

でも、今回は、時代小説を背景にした女性の描き方の一つとして、面白い「角度」が見つかった。一言で言えば、「自己解放」です。今、高崎さんがおっしゃったように、社会における女性の立ち位置が新しく作り上げられ始めているこの時期に、女性が主人公で、性を題材にした時代物というのは、個人的にピンときまして。

高崎:そういう経緯だったんですね。

冲方:やっと書けるようになった。いや、やっと書く意味ができたんですね。日本の性風俗を調べ始めると、これがなかなか面白い。やはり「ハレ」「ケガレ」の世界なんです。

ジャパニーズロープワーク、つまり緊縛ですけど、あれは元々、罪人の罪を祓うっていう意味があったわけです。では、なぜ縄を使うのかというと、肉体を傷つけずに罪だけを払うため。筋肉や神経、血管の類いを決して傷つけないように、かつ見栄えよくするためなんです。

当時の刑罰で、「市中引き回し」いう刑がありました。でも、罪人だからと言って、みすぼらしくすると、なぜか市民から超ブーイングが出てしまっていたんですね。これは実際に記録が残っています。何かが浄化されるものとしての「刑罰」、それがいつしか性風俗と結びついた。

江戸の社会は「お家(いえ)」を考えることが最優先されました。お家の大前提として、勝手な結婚、勝手な心中、勝手な駆け落ちというのは最大のタブー。でも、生殖自体は非常に尊んでいたんですね。

子供がすぐに死んでしまうという時代背景がそこにはありました。「七五三」という行事が残っていますが、3歳、5歳、7歳と2年おきに子供を祝うのは、「そこまで生きてくれてありがとう」という意味。子供を産む、子供を作るということそのものに対する喜び、祝い事としての性という意識が非常に強かったんです。

ただ、跡目を継ぐべき人間が勝手な恋愛をしてしまうと、勝手なところに財産が継承されてしまって、財産が分散してしまうわけです。「このたわけが!」などというときに使う「たわけ」という言葉がありますが、あれは元々、「田を分ける」ところから来ています。生まれた子供全員に田を分けていくと、細分化されていって、一人ひとりが食べられなくなってしまうわけです。財産を一極集中させること、性を崇め奉ること。このバランスを保っていた。そこの部分で悪いことをしたら「祓う」というイメージです。

日本人は、ここの部分をはっきりとは明文化せず、漠然と引き継いできて。挙句の果てに昭和に入ると、「緊縛史」なるものが出てきて、ただの「エロ」となってしまいました。

高崎:冲方先生の新作を読んで、感じたことがあります。官能小説とうたいながら、どこか官能小説ではないんです。「ハレ」と「ケガレ」、「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」、そして「生」と「死」が強烈に描かれていて、文化的な本のような読後感でした。

冲方:僕の中で、「官能」というのはある種、社会的なタブーが浮かび上がる物語なんだろうという想いがありました。そして、どうして人間はタブーに快感を求めるんだろうという疑問も。

そこには自己実現があるのかもしれませんが、そもそも肉体的な欲求をタブー視することで、文明が成り立っているところもあります。それが解放されてしまったときのカオス、そしてそれらが収束していくときに支払わなければならない代償。ここがドラマチックで好きなんですね。

みんながみんな、そういうものを求め出すと世の中は大変なことになってしまいます。イメージだけを自分に投影することで、一瞬だけ味わう。それは「平和な官能」とも言えるかもしれません。縛られるけど、必ずしもその後、首ははねられないという(笑)。

高崎:私、13歳のときに下着に目覚めたんです。それまで、江戸やフランスの性風俗をすごい必死に調べていたんですよ。素朴に性というものに対する興味もあったんですが、どちらかというと文化に興味を持ったんです。

調べていくと、花魁の世界には文化があって、脈絡が存在していて、情緒が間違いなくあった。逆にフランスにはあまりそういう文化がなかったんですね。そういう文化的な違いも私には面白く感じていました。こうした興味から私は下着の世界に入っていくことになるんですけど。

日本の女性とヨーロッパの女性では、性に対する概念が全く違います。でも、どちらもいいところがあるんです。私はヨーロッパの女性の奔放さに憧れつつ、日本の女性の貞淑さ、知性みたいなものにも同時に惹かれたんです。それがうまくミックスできたら面白いなって、ずっと思っていて。

今回、コラボさせていただいた小説の内容が、まさにそういう内容だったことに驚きました。当時の日本人女性は性に対してひたむきに向き合っているんです。秘めていたけど急に解放されるという原体験がある。でも、今の日本の女性はおそらく本当の意味での喜びのような深みにまではいけない。ビデオなどの影響が大きいのかもしれません。

冲方:たとえば性が解放ではなく売買の対象になると、個人の喜びではなくて、「いくら儲けたか」という金銭的な価値に置き換えられてしまうんですよね。それによって、個人的な喜びってそもそも何だったんだろうって疑問に思わなくなってしまう。

金銭に置き換えることは個人の自由。でも、金銭に置き換えられたときに失われるものを、誰かちゃんと教えなければならないと思うんです。金銭に置き換えられるということは、数字に置き換えられるということ。数字の価値観は無限なので、「どこまで稼いだら私一人前なの?」となってしまう。そうなると、きりがないんです。

高崎:生きるという意味も含めた性に対する捉え方が少しずれているなというのをずっと感じていました。例えば、恋人とのセックスを本当に楽しめているということでもいい。そういう人を一人でも増やすことができたら、変な社会の歪み、男対女といった構図が無くなるのではないかなと、ふと思ったんです。